スマートシティは何が「スマート」なのか?

本稿は、Germaine Haleguoaの "Smart Cities" の第1章を受けて書いています。

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「スマートシティ」という言葉を聞いたことあるでしょうか。最近はニュースや新聞でも取り上げられることも多くなってきました。Google Books Ngram でみると、2010年以降、多く使われるようになっていることがわかります。

Google Books における "Smart City" の登場頻度

スマートシティを直訳すると「賢い都市」になります。では、一体何が賢いのでしょうか?

内閣府では、スマートシティを以下のように定義されています。

スマートシティは、ICT 等の新技術を活用しつつ、マネジメント(計画、整備、管理・運営等)の高度化により、都市や地域の抱える諸課題の解決を行い、また新たな価値を創出し続ける、持続可能な都市や地域であり、Society 5.0の先行的な実現の場と定義されています。 スマートシティ - Society 5.0 - 科学技術政策 - 内閣府 (cao.go.jp)

この定義に従うと、スマートシティが「スマート」である所以は、

  • 都市マネジメントの高度化
  • 都市の課題解決
  • 新たな価値創造
  • 持続可能性

にあると見ることが出来ます。しかし、これらは何も新しいことではなく、全て従来の都市が目指していた姿ではないでしょうか。例えば、1960年代以降策定されてきた「全国総合開発計画(通称:全総)」や、各自治体が作ってきたマスタープランは、総じてこの4点が念頭に置かれていたと思います。

では、このスマートシティは従来の都市づくりと何が違うのでしょうか。それは、内閣府による上記の定義における「ICT 等の新技術の活用」にあります。世の中でスマートシティと謳われているものは必ずと言っていいほど何かしらの先進的技術が使われています。逆に言うと、「ICT 等の新技術」を活用しているというだけで、スマートシティと呼ばれている事例も数多くあります。

ここで注意が必要なのは、ICT等の新技術を使うと本当に街がスマートになるのか、ということです。これまで人間が知恵を絞って「課題解決」や「価値創造」の方法を編み出してきましたが、考える主体がICTに置き換えられたことで本当によりスマートなものになるのでしょうか。AIが携わっている街の方が、そうでない街よりも課題解決能力に長けているのでしょうか。これは、今後議論されるべき点であり、政策の検証においても研究されるべき論点だと考えています。

現在、世界中で多くのスマートシティが生まれていますが、その多くはICTを開発する企業が主体になっています。すなわち、「スマート」という定義が曖昧であり、ICT 等の新技術の活用というところに落ち着いているために、結果としてスマートとなっているかは置いといて、謳い文句としてのスマートシティが先行してしまっています。日本でも、「スーパーシティ」という構想が掲げられていますが、コンセプトはスマートシティと同様と考えて良いでしょう。ここでも、何が「スーパー(スマート)」なのか、吟味が必要ですし、私自身も考えたいと思います。